ヘリテージング
大原美術館が守った町並み 倉敷美観地区
いまは掘割となっている倉敷川沿いに白壁の町屋が並ぶ。川端に柳が揺れたりして、ちょっと絵葉書っぽいあたりが倉敷観光のメインストリートだ。
400年近くもの間、天災にも戦災にも遭わなかった町。実はこの町並みを空襲から守ったのは大原美術館だという説がある。世界的な名画や彫刻のコレクションを惜しんで、倉敷は米軍の爆撃目標から外されたのだという。
そして終戦直後、戦火から免れた町並みを後世に残そうと提唱したのは、大原美術館創設者の息子大原総一郎だった。
いま美観地区を歩くと白壁土蔵造りの町屋が目立つ。幕府天領時代から続く歴史的景観だ。
時代は明治となり、当時の花形産業だった紡績会社が、明治21年に倉敷村につくられた。倉敷はこの紡績工場を中心とする企業城下町として発展し現在に至っている。
昭和47年、クラボウは役目を終えた旧本社工場の再開発に乗り出した。更地(さらち)にして高層ホテルにという計画も当然出された。しかしクラボウは、当時まだ珍しかった「歴史的建造物の再生・活用」という手間も金もかかる方法を選択する。
明治22年に建設された原綿(げんめん)倉庫は「倉敷紡績記念館」に、混(こん)打綿(だめん)工場は西洋近代絵画などを紹介する「アイビー学館」に、そして平屋だった工場本館は、外観を残したまま地下を
掘り下げて二層とし、161室のホテル「倉敷アイビースクエア」となった。
従って美観地区のヘリテージングとは、「倉敷紡績ヘリテージング」に他ならない。ツタのからまる赤レンガ壁はいまや「クラシック倉敷」のシンボルだ。明治の紡績工場はレンガ色の文化ゾーンとして甦(よみがえ)り倉敷が誇る伝統美観の一翼を担っている。
掘割の対岸に建つギリシャ神殿風の「大原美術館」は、倉敷紡績2代目社長大原孫三郎が、昭和5年に創設したわが国初の西洋近代美術館。かつて倉敷の町を守り、いまも倉敷の美観地区を見守り続けている「美の神殿」なのだ。
 
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