ヘリテージング
捕虜となったロシア兵たちが眠る ロシア人墓地
日露戦争が始まったのが明治37年2月、 翌3月から全国29ヵ所の収容所にロシア兵捕虜が送られてきた。
松山には2年間で延べ6千人、最大時は4千人ものロシア兵捕虜が「滞在」した。滞在とは妙な言い方だが、当時、松山には武士道精神が色濃く残されており、捕虜とは奮戦の末力尽きた結果であるから、敵とはいえ勇敢な武人として遇すべきだという風潮があった。
ロシア兵捕虜は市内を自由に散歩し道後温泉にも入り自転車競走を楽しんだという。松山の市民も外国人との“異文化交流”を大いに満喫したらしい。
「滞在中」に病気や戦傷で亡くなった将兵は98人。それぞれの名前、軍での階級、
信仰する宗教などを刻んだ98の石碑が建てられた。ひときわ大きいのが本国送還を拒否し部下とともに松山に残ることを選んで病死した戦艦艦長ボイスマン大佐の墓。ロシア人墓地は地元勝山中学生徒などの手で清掃され、市民からの供養の花が絶えない。
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Information

【案内】

 
◆所在地
愛媛県松山市御幸1丁目

【アクセス】

 
◆電車
伊予鉄道木屋町駅から徒歩15分
◆車
松山自動車道「松山」インターチェンジから車で8km