大連(Dalian/ターリェン)ヘリテージング

ロシア、日本、中国、異文化の交錯するまち大連

大連という中国の都市になぜ日本の近代遺産が造られたのか…。ヘリテージングは訪れる街や建物を漫然と眺めるだけでなく、その成り立ちの歴史知識を少しだけ仕入れて行くと、「なつかしい」「めずらしい」「うつくしい」という感動がより深く味わえる。

明治28年、日本はアジアの大国・清との戦争に勝利し、遼東半島、台湾、膨湖列島が日本に割譲された。つまり清国からブン取った。
帝国主義諸国による世界分割が激しくなっていた19世紀末、アジアに台頭した日本帝国の動きは、欧米列強の警戒するところとなり、ドイツ、ロシア、フランスは遼東半島を清国に返還するよう日本に要求する。世にいう「三国干渉」だ。世界の軍事大国トップスリーに迫られた日本はやむなく遼東半島を手放す。
その3年後、帝政ロシアは日本に放棄させた遼東半島(かねてよりロシアが狙っていた不凍軍港・旅順がある)を租借地としてしまう。つまり清国からブン取った。日露関係は最悪となりやがて戦争へと突き進むことになる。
旅順軍港を得たロシアは、近くの青泥窪(チンニーワ)という寒村に商業港の建設を始める。ひなびた漁村はアカシアの花香るヨーロッパ風の瀟洒な港湾都市となり、「ダーリニー」というロシア名がつけられた。

明治38年、日露戦争の結果、遼東半島の利権は再び日本に移り、「ダーリニー」は「大連」と呼ばれることになる。
日本の統治下に入った大連は、「満州」への入り口としてさらに急速な発展をとげる。
鉄道経営や町造りのみならず、鉱山資源の発掘や移民の奨励、軍事的諜報活動までも業務とする国策会社、南満州鉄道(満鉄)が設立され、本社が置かれた大連は、当時の日本国内のどの都市にも引けを取らない先進的なインフラが整備された。
コールタールの舗装道路、水洗トイレ、スチーム暖房、レンガ造りの洋風建築。
昔の日本人にとって、大陸における大いなる野望を具現した「夢の都」が大連だった。(その野望が過ちであったにせよ)
大連ヘリテージングは、街のそこここに当時の姿を残す、日本人とロシア人の夢の痕跡をたどる大人の旅でもある。
壮観!8棟の近代遺産が取り囲む中山(ちゅうざん)広場
病院、寺院、百貨店、日本人の生活を偲ぶ幻影の街角
Information

【案内】

 
◆中国東北部ツアーコースの一例
ハルピン、長春、瀋陽、大連、旅順6日間
瀋陽、旅順、大連5日間
異国情緒たっぷりの大連と特別区旅順満喫4日間
ノスタルジック大連、旅順3日間など

【参考文献】

 
「週刊中国悠遊紀行34大連と瀋陽」小学館
西澤泰彦「大連都市物語」河出書房新社
西澤泰彦「図説満州都市物語」河出書房新社
「井上ひさしの大連」小学館
三上吉彦「中山広場の歴史的建物」
呂同挙「大連・古い建物」大連出版社
 

【アクセス】

 
日本から大連へは成田、羽田、関西、福岡、広島、仙台、富山、名古屋などから直行便が就航している。空港は大連市内から約10キロの周水子国際空港。