大阪ヘリテージング

浪花商人たちが建てた城

塩野義製薬、田辺製薬、武田薬品、小野薬品、大日本製薬、佐藤製薬、…。大阪道修町(どしょうまち)、この町に並ぶビルの看板を見ると、問屋がひしめく商いの町として発達した商都大阪の凄さを目(ま)の当たりにする思いがする。
道修町を含むこの一帯を船場(せんば)という。この界隈には、明治から昭和初期にかけて、船場の商人たちが築いた商いの城が建つ。ここに店を構え、事務所を持ち、ビルを建てることは、商売の足場を築くのと同時に浪花商人としての夢でもあったのだ。
1920年代から30年代にかけて、時代の波を乗り越える大きな船のように、銀行や証券会社の近代ビルが屋根瓦を置く町屋の中に現われ始める。世界中を
巻き込む経済恐慌もあった。大きな戦争もあった。そのたびにビルは大きく揺らいだ。
ようやく戦災を乗り越えた由緒あるビルも、高度成長下の都市開発、企業発展の前では、ただの古ぼけた役立たずと見なされ次々に姿を消して行った。
バブル崩壊後、異常な開発ブームにも歯止めがかかり、歴史的な建造物への再評価が行われるようになった。古ぼけた建物が再び由緒ある文化遺産として認められ始めたのだ。
「大阪ヘリテージング」は、やはり、日本一の商都の変遷を見つめながら生き残ってきた、船場から中之島にかけて建つ商都の宝物を見てまわりたい。
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